いつ頃から「三隣亡」サンリンボウの慣習が始まったかは不明ですが、江戸時代よりも前の歴注説書には書かれていないので、江戸時代に入ってからと思われます。現代の三隣亡は、建築に関することは一切忌むべき日とされ、この日に建築事を行うと近隣三軒まで災いが及ぶとされております。しかし江戸時代の本には「三輪宝」サンリンボウと書かれ「屋立てよし」「蔵立てよし」の吉日で、この日に上棟式等が行われたそうです。それがある年、歴の編者が「屋立てあし」「蔵立てあし」(よし)を(あし)と書き間違えた事から、良い日から悪い日「三輪宝」から「三隣亡」へと伝わってしまったとされております。じつわサンリンボウは、現代とはまったく正反対の意味の「吉日」だったんですね~!